研究目的
1. 研究の背景
北太平洋亜寒帯海域は、北大西洋から始まる海洋熱塩大循環の終端に位置し、世界で最も古い海水が海洋中の鉛直混合を通じて湧昇する海域である。熱塩循環及び風に起因する湧昇流による栄養塩鉛直輸送によって、この海域は極めて高生物生産である。このため、物理環境の変動は、漁業を始めとして、炭素循環を通じて地球温暖化にも影響を与えると考えられている。しかし、熱塩循環に起因する北太平洋での湧昇流量を定量的に説明する程の強い鉛直混合は、未だ観測によって得られておらず、地球環境問題を論ずる上で大きな問題となっている。
一方、申請者らの研究グループは、月の軌道変化に伴う潮汐の18.6年周期振動と同期する約20年周期の海洋表・中層水塊・プランクトンの変動を亜寒帯・亜熱帯北部の海域に見出した(代表者Yasuda他2006; Osafune & Yasuda 2006)。この潮汐振動は、太平洋10年規模振動(PDO: Pacific Decadal Oscillation)指数やアリューシャン低気圧の約20年周期変動とも同期していることが示され(Yasuda他2006)、太平洋域の気候10年規模変動で卓越する約20年周期変動を説明できる可能性が出てきた。北太平洋亜寒帯海域では、沿岸域や島の周辺で強い日周潮汐流に伴う潮汐混合が強く、場所によっては極めて大きな鉛直混合が存在する可能性がモデルや理論から示唆されている(連携研究者Nakamura 他2000a;2000b;2004;2006)。この大きな鉛直混合に伴う鉛直海水・物質輸送により亜熱帯海域中層へ亜寒帯水が輸送され北太平洋中層水を形成し(連携研究者Tatebe & Yasuda2004;Nakamura他2004)、亜熱帯海域の生物生産を強化することが示唆されている(Sarmiento他2004Nature)。したがって、亜寒帯海域での大きな潮汐混合が実証・定量化されるならば、海洋循環や鉛直栄養塩輸送を通じた18.6年周期潮汐振動が海洋・気候の長期変動に与える影響について、実証的・定量的に論ずることが可能となる。
しかし、海洋中、特に永年水温躍層を含む中深層の鉛直混合の直接観測は、これまで数えるほどしか無い。また、ロシア海域内の観測は困難であり、オホーツク海等潮汐混合に支配された海洋の観測は極めて不十分であった。我々の研究グループは、平成17-19年度に基盤研究A海外調査の補助を受け、最近開発された2000m深まで測定できるケーブル付きリアルタイム乱流計を導入し、白鳳丸・淡青丸・ロシア船における3ヶ年の150日にも及ぶ航海を通じて観測体制を作り、乱流観測のノウハウを蓄積してきた。2006・2007年には、千島列島周辺海域・オホーツク海における鉛直混合の直接観測を世界で初めて実施し、通常の一万倍もの乱流拡散の存在を実証した。
本申請の準備段階として実施された千島列島付近での鉛直混合を18.6年周期で変化させる大気海洋結合モデル実験からは、観測と整合的な約20年変動が海洋を通じて気候にも現れることが確認された(分担者Hasumi, Yasuda Tatebe 投稿中)。木の年輪を用いて再構成された約300年の太平洋10年規模振動指数PDOの記録に18.6年振動が統計的に有意に現れていること(安田準備中)、潮汐18.6年振動に整合的な水塊変動がアリューシャン列島・ベーリング海陸棚域等北太平洋亜寒帯海域全域・日本本州南岸付近にも発見されたことなど、潮汐18.6年振動が気候・海洋の約20年周期変動を規定することを支持する観測事実が続々と明らかにされつつある。
2. 研究内容
これらの研究成果は「北太平洋亜寒帯海域には太平洋規模の海洋循環・生態系や水塊構造を維持する元となっている中深層に及ぶ大きな鉛直混合が存在し、海洋循環・物質循環・生態系に大きな影響を与えている。日周潮汐流にともなう鉛直混合強度が潮汐18.6年振動に伴い変化することによって、北太平洋の表・中層循環と気候に約20年周期変動が現れる」という本研究の作業仮説を支持している。一方、我々のグループによって直接観測された千島列島付近の混合強度は極めて大きいが、時空間的に変化が大きく、また、18.6年周期で変動しうる強い乱流はアリューシャン海域など別な海域にも存在することが予想されている。乱流混合を定量化し、物質循環・生態系に対する役割を明らかにするためには、更に観測を拡大し積み重ねる必要がある。
そこで、1)中層2000mまでの乱流観測を千島列島海域・カムチャッカ・アリューシャン・ベーリング海・黒潮続流域に拡大して展開し、乱流発生の実態を明らかにするともに、モデルを併用し乱流発生機構を考慮して、乱流強度を定量化する。2) 乱流観測と同時に栄養塩・化学物質・生物の観測を行うことにより、鉛直混合と物質循環・生態系との関わりを明らかにする。3)潮汐18.6年振動を取り入れた精度の高い海洋循環モデルを用いて海洋循環・物質循環・生態系変動に対する影響、4)大気海洋海氷結合気候モデルを用いて気候への影響を明らかにし、5)過去の観測データの解析結果と比較研究を通して仮説を実証し、予測につなげる。
3. 特色・独創性・期待される成果
太平洋域の数10年規模の変動には約20年周期の変動が卓越することが知られているが、その原因については現在の所謎であり、世界の研究者が挑戦しているテーマである。「潮汐18.6年振動が海洋・気候の約20年変動を規定する」という本研究の仮説は、本研究グループが世界に先駆けて提唱・実証しつつある仮説であり、極めて独創性が高い。PDOに18.6年振動が統計的に有意に現れていること、及び、大気海洋結合気候モデル実験で18.6年振動に対応した気候約20年振動が現れることは、本仮説によって気候・海洋の20年振動が説明できる可能性が高い。潮汐18.6年振動は天体の運動に起因し予測可能であるため、仮説が実証されることは、海洋・気候の長期変動の予測に大きな貢献となる。同時に、自然変動が明らかになることで温暖化等人為起源の気候変動をより明確にできる。一方、中深層までの乱流強度の直接観測はこれまで殆ど無く、本研究で実施される乱流強度の観測データ・定量化や物質循環・生態系に関する研究成果は、海洋熱塩循環・物質循環・生態系の理解に大きく貢献するものである。
本グループの研究によって明らかになりつつある新しいオホーツク海・親潮・黒潮循環像。千島列島付近での強い潮汐混合によって、表層水が高塩分化し、その海水が北上してオホーツク海北西部に達し、冬季の冷却と結氷過程によって高密度陸棚水が形成され、中層低温水としてサハリン沖を南下する。その海水が太平洋へ流出し、深層から中層への潮汐混合による大規模混合性湧昇も加わり、親潮を強化するとともに、亜寒帯から亜熱帯へ海水が輸送され、黒潮等を変化させることを通じて海洋・気候に影響する。